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宮司就任奉告祭祝詞4 幹部③
きょうは宮司就任奉告祭祝詞における幹部の三回目、まず前回つくったところを以下に掲げます。
大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明(あか)き処と、今の〇〇てふ処(ところ)を斎(いは)ひ定めて鎮め奉りしより此方(このかた)
これに、代々の神職や氏子崇敬者によって、神社の護持運営が行われてきたことをつづけます。
私が宮司として奉職することになった神社は、氏子区域のほぼ全域が行政区画上の村だった頃、一村の総鎮守と目されていました。昭和三十一年にとなりの市と合併することになったのですが、いまでも住民のこころの中には旧村一帯の枠組みが色濃く残っているようです。
そう考えますと、神職、氏子崇敬者が、神様を尊崇し、お祭をさかんに行ってきたようすを書くのがいいだろう、と思いました。まず、この部分の主語になる部分。
神職(かむづかさ)を初めて、御氏子・崇敬者の諸諸
神職を「初めて」は「初めとして」という意味。「諸諸」は「諸」とすることもできます。こういう人たちが「神様を尊崇していた」とつづけるわけですが、ここでは対句を用いて、以下のようにしました。
吾が大神と慕ひ奉り、産土の大神と尊(たふと)び奉りて
おおまかな意味は「私の神様とお慕い申し、産土の大神として、尊敬申し上げて」となります。「吾が大神……」は「おらが村の~」というフレーズを思い出させます。「おらが村の……」は俗っぽいですが、当時の地域の人々の心情として「私の神様とお慕い申し」はそう外れていないのではないかなと思います。
「産土の大神」はそのままです。「産土大神」と「の」を入れないのが普通かもしれません。ここでは読み誤り防止のために入れています。「尊び」の位置には「崇め」「称へ」「敬ひ」「恐み」など、信仰心の諸相を表現するさまざまな語をいれることが可能です。そのうち、もっともしっくりくる語が「尊び」だと感じたので、この語を選びました。これは直前の「慕ひ」についても事情は変わりません。
では、そのような神様をお祭りしていたとつづけたいところ、春に〇〇祭、秋に〇〇祭……などとやってゆくと、当然ながらきりがありませんので、まとめて書くことにしました。
時時の御祭の大きも小さきも、厳(いか)しく麗(うるは)しく治(をさ)め奉りて
「時時の」は「そのときどきの」「そのとき、そのときの」。意味からしてまさに不定で、祭日の決まっているお祭も臨時祭も含めています。そうしたお祭の「大きも小さきも」と、同じく大小みなひっくるめまして、「厳しく麗しく治め奉りて」は、おごそかに、立派に済まし申し上げて。
ここまでをまとめて、以下に掲げます。
神職(かむづかさ)を初めて、御氏子・崇敬者の諸諸、吾が大神と慕ひ奉り、産土の大神と尊(たふと)び奉りて、時時の御祭の大きも小さきも、厳(いか)しく麗(うるは)しく治(をさ)め奉りて
あすは幹部の最後の部分、最近の神社の状況を踏まえて、じぶんがお仕え申し上げることになった旨をどう書いていったか、説明してゆきたいと思います。
宮司就任奉告祭祝詞3 幹部②
予告どおり、宮司就任奉告祭祝詞の一部、神社のご鎮座の状況についてどう書いたのかを、述べてゆきます。まず、大神様が〇〇年にご鎮座した、とします。
大神等(たち)はも、某年と云ふ年、鎮(しづま)り坐して
「はも」は「は」と「も」の複合語。上にくる語を強調します。辞書には「強い執着や深い感慨を持ちつづけている場合に使う」とあります。ここでは「深い執着」というより「深い感慨」の方です。「某年」には具体的なご鎮座の年がはいります。
これだけだと少しあっさりしていますので、どこにご鎮座したのかも申すことにします。まさに祝詞を奏上している場所に、初めからずっとお鎮りになられているなら、不要かもしれません。しかし、実はこの神社は初め、現在地とはべつな場所にご鎮座されましたので、それを踏まえて「某年と云ふ年」のあとに、つけ加えることにしました。
大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明(あか)き処(ところ)と、今の〇〇てふ処に鎮り坐して
最初の〇〇は現鎮座地、より大きな範囲の地名、二番目には最初の鎮座地の地名で、〇〇町くらいの小さな範囲の地名がはいります。「今の」は、過去の文献、村史等にあたっても二番目の地名が昔からのものなのか不明だったので、念のためつけ加えました。「てふ」の意味は「という」です。
ここでふと、つぎに代々の神職、氏子崇敬者のようすを書こうとしていたのを思い出しました。それならば、「神様がお鎮まりになった」というより、(当時の氏子崇敬者が)「神様をお鎮め申し上げた」とする方があとの内容につなげやすくなります。そこで、
大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明き処と、今の〇〇てふ処を斎(いは)ひ定めて鎮め奉り
としました。「斎ふ」という語はユハフ(いまでいう「結わえる」)と近い語ということもあって、「お祀りする」「幸福を願ってよいことばを述べる」など主要な意味の他に、魂をひとつの場所にとどめるという意味もあり、ご鎮座に関することを申すときには非常につかいやすいことばです。
ご鎮座された当時については、これでだいたい述べることができたとして、こののち、代々の神職や氏子崇敬者が神社の護持運営をしてきた……という内容にしたいので、ここで内容上、切れ目をいれることにします。
大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明(あか)き処と、今の〇〇てふ処(ところ)を斎(いは)ひ定めて鎮め奉りしより此方(このかた)
この地のよい場所にご鎮座を乞い願って以来、とし、神職を初め氏子崇敬者が……と、つづけることにしました。
高天原に事始め給ひし岐美(きみ)二柱(ふたはしら)の大神等(たち)の御言(みこと)依(よ)さしを、天つ序(つぎて)・国つ序と樛(つが)の木の弥継継(いやつぎつぎ)に伝へ奉り給ひし随(まにま)に、
大神等はも、某年と云ふ年、是の〇〇の清き明(あか)き処と、今の〇〇てふ処(ところ)を斎(いは)ひ定めて鎮め奉りしより此方(このかた)
次回はいま述べた、代々の神職や氏子崇敬者によって、神社の護持運営が行われてきたことについてどう書いていったかを説明したいと思います。
宮司就任奉告祭祝詞2 幹部①
きのうに引き続き、本題部分について述べます。
まず書き出す前にどのようなことを考えたのかというと、第一に、高天原から始めて、修理固成の御言依さしが受け継がれてきて、それでじぶんがこれからご奉仕申し上げる神社のご鎮座に至ったということです。
第二は、ご鎮座以降、代々の神職を初め氏子崇敬者の信仰心により、神社の護持運営が行われてきたということ。
第三は、神社の最近の状況を踏まえた上で、じぶんがお仕えすることになったと申し上げよう、ということ。
これを順番に申してゆき、神饌をお供えする部分につなげようと考えました。
前置きはこれくらいにして、さっそく一番目から順に、どのようにつくっていったのかを述べてゆくことにしましょう。
結局は、高天原にいらっしゃるカムロキノ命、カムロミノ命の仰せで……という、よく式祝詞で見かけるかたちとほぼ同様なのですが、まず以下のようにしました。
高天原に事始め給ひし岐美(きみ)二柱(ふたはしら)の大神等(たち)の御言(みこと)依(よ)さしを
式祝詞では「高天原に」のつぎは、「神留(づま)り坐す」、あるいは「事始めて」「神留り坐して事始め給ひし」と、みっつのパターンしかありません。ここでは「ことをお始めになられた」ということで「事始め給ひし」としました。
ただ、「こと」といっても具体的になんなのか明確ではなく、いろいろな解釈ができるところです。私がここで想定したのは、国生み、神生みを初め、ありとあらゆることをお始めになった、ということでした。前述のように、修理固成を軸に書いていこうと思っていますので、当然、修理固成も始められたとの意を含んで「事始め給ひし」としました。
始めたのはつぎの「岐美二柱の大神等」ですから、「始め」には敬語をつけます。「し」は過去の意味。
その「岐美二柱の大神等」は字そのままの意味でしたら、男神・女神二柱ということになります。その男神・女神、式祝詞であるかたちではカムロギ、カムロミノ命が、具体的にどの神様なのかについては諸説あります。
また、例えば「神漏伎・神漏弥命」(式祝詞の祈年祭での表記)のように、ちゃんと書かないのかという意見があるかもしれません。ご神名を申すことについては、お名前を申すのをはばかる立場と、お名前を申すことでご神威の発動を願う立場とがあると思います。ここではカムロギ、カムロミノ命に申す祝詞ではなく、これからじぶんのご奉仕する神社のご祭神へ申すことから、「岐美二柱の大神等」としました。
では「御言依さしを」の「御言」とは何なのか。これは修理固成せよ、との「御言」を想定しています。古事記によると、以下のようになっています。
ここに天つ神諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、「この漂へる国を修(をさ)め理(つく)り固(かた)め成(な)せ」と詔(の)りて……
この「修理固成」が天つ神諸から、イザナギノ命、イザナミノ命へ、またその後、三貴子へとつぎつぎに伝わっていき、遥か後代のわれわれにまで届いてきていまに至る、という思想があります。この思想を踏まえて、作文したいと考えたわけです。
ではその「修理固成」の「御言依さし」が伝わってきたようすを、どう書くか。もちろん具体的にいちいちあげてゆくより、おおまかに申す方が無難でしょう。そこで、
天つ序(つぎて)・国つ序と樛(つが)の木の弥継継(いやつぎつぎ)に伝へ奉り給ひし随(まにま)に
としました。「序」は順番、次第という意味。高天原でも葦原の中つ国でも(「御言依し」が受け伝えられて……)ということから「天つ序・国つ序」と並べました。つづく「樛の木の」は「つぎつぎ」にかかる枕詞です。その「つぎつぎ」は「継継」としていますけれども「次次」とも書けるところです。
つぎの「伝へ奉り給ひ」は二方面への敬語をつかっています。ここで「伝へ」たのは多くの神々、「伝へ」られたのも神々ですので、どなたへの敬意かがはっきりしませんけれども、どちらも敬意を払うべき対象ですので、どちらにも敬語をつかいます。時代がくだると、伝え、伝えられてきた中にわれわれに近しい人々もでてくる、ということになりますが、だからといって敬語をつかわないわけにはいきません。
蛇足ながら、二方面に敬語を用いるのは平安時代以降なので、上代では、こうして二方面に敬語をつかうことがありませんでした。例えばこの場合、上代ならば「伝へ奉り」としていたところです。式祝詞はこんにち作文する上でも、なお規範でありつづけていますが、この点には注意が必要です。
あすはこのつづきの部分、じぶんが宮司として奉職することになった神社の、ご鎮座の状況についてどう書いていったか、説明したいと思います。
宮司就任奉告祭祝詞1 準備~冒頭部
ここからは、宮司就任奉告祭祝詞について、どのように考えて草稿成立まで至ったのかを説明していきたいと思います。
この祭祀は当然ながら、宮司が就任する際に行われる臨時祭祀です。現にある神社の宮司であって、他の神社の兼務宮司に就任した際に行うのでもなければ、長いこと神職をしている人でも、そう何度も経験するものではないでしょう。
私の場合、他神社の権禰宜より転任して本務宮司となり、奉告祭をとりおこないました。あらかじめ作文し、浄書しておいたのは前回の人形感謝祭祝詞と同様です。前任の神社にいるときに、すでに就任直後の予定として、この奉告祭も組まれていました。そこで、赴任直後にはきっと思いもかけないことがいろいろあるだろうと予想されましたので、余裕をもってつくっておこうと考えたのです。
草稿にとりかかる前に注意しなければならないと考えたのは、「奉告祭」なのですから、宮司として就任いたしました、これよりお仕えさせていただきます、ということを申し上げるのが主眼であって、ふだんつくり慣れている「祈願祭」のようになってはいけない、ということです。より具体的には、私のもっている語彙の多寡はともかくとして、祈願よりも奉告の語句の分量が、まずは多くなければならないと考えました。
分量については、小祭式とするのは決めていましたが、ある程度は必要だろうと考え、奉書紙に六つある書くスペースの、ひとつにつき三行、全部で十八行とし、宣命書にして一行二十五、六字とおおまかに決めました。四百字詰原稿用紙にすると、一枚ちょっとの計算になります。スピーチなどでしたら一分少々で読み終わるでしょうし、短いのかもしれませんけれども、祝詞ではこの分量でも短すぎることはないと思います。
ざっと以上のように考えて、まず冒頭部として、
挂巻も畏き某神社の大前に恐み恐みも白さく
としました。
最初の通常「掛けまくも」と書くところ、「挂」は「掛」とほぼ同じ意味、墨書したとき字のバランスがとりやすいので、つかっているだけです。「巻も」はそのままマクモと読みますが、「巻」の字じたいは音を借りているだけで、「巻く」という意味はもちろんもたせていません。
なお、浄書のときには「挂巻も畏き」のあとで改行し、「某神社」が、つぎの行の頭にくるようにしています。「某」には具体的な神社名が入りますが、その神社を尊んでのことです。印刷の都合もあるのか、例文集などではそうした祝詞は見かけませんが、昔の祝詞ではよくあります(明治六年三月式部寮達番外、官幣諸社官祭式制定ノ件に所載の祝詞など)。
また、「大前に」のあとに、職氏名を入れることがありますが、ここでは入れないことにしました。これは「奉告」の根幹にも関わるところで、議論のあるところかもしれません。
草稿段階で私が職氏名を申すのを躊躇したのは、宮司就任奉告祭をお仕えして大神様のお許しをいただいてよりのち、職氏名を初めて申すことができると考えたためでした。
一方、純粋な「奉告」の意味でなら「宮司になりました。これから誠心誠意、お仕え申し上げます」ということで、「宮司〇〇」を入れて何の問題もないでしょうし、そのような考え方もできます。私の場合は、草稿を書きはじめたときにはすでにスケジュール上、奉告祭の時点でもう、宮司任命の辞令をいただいている、ということは決まっていました。そもそも辞令をいただくまでの間、その過程にも、ご奉仕することになる神社の大神様の御神意が働いているに違いありません。
いまこうして考えてみると、職氏名をいれてもよかったのではないかと思います。いれてもいれなくてもよい、という、どっちつかずの結論です。
それでもあえていうなら、この場合は、職氏名を入れない方が勝る気がします。なぜなら、草稿段階での第一感だったからです。推敲すればするほどよくなるような気もしますけれど、文章を練りあげてゆくのは人知の領域であって、直感は神々の領域に近接するように思います。
最後に、この分量でよいのか、少なすぎないか、という点についてお話ししましょう。確かに前回の人形感謝祭祝詞では、冒頭部には修飾語句を用いて長くしてゆきましたが、ここではごく単純な形にしています。
これは、冒頭部につづく部分の内容、いわば本題において、たくさん申すことがあるだろう、長くもなるだろう、と予想したためです。実際につくってみて、想定していたよりも長くならなければ、あとで冒頭部の長さを調整しようとは考えていました。
人形感謝祭祝詞10 推敲の前後
前日の記事まででいちおう完成しましたので、まずは全文を以下に掲げてみます。
【冒頭部】此の処(ところ)は朝日の直刺す処、夕日の日隠る処のいと吉き処と、是の某神社の祖霊殿(みおやどの)に鎮り坐す挂けまくも畏き代代の祖先等(みおやたち)の御霊の御前に職氏名い、恐み恐みも白さく、
【おまつりする】長き冬の寒きも漸漸(やややや)に和らぎ、あづさゆみ春去り来たりて、山桜・千島桜の笑まひ開くを、我どちの待ち遠に待ちゐたる今日の生日の足日に、御氏子・崇敬者等(まめびとら)の遠近(をちこち)より持ち参(まゐ)来たる人形(ひとがた)をば、今し御前にここだく据ゑ並め奉りて、年毎の例と定むるが故に御祭(みまつり)仕へ奉ると、此の処を厳(いつ)の斎庭(ゆには)と種種(くさぐさ)に装ひ設(ま)けて、振る大麻(おほぬさ)の音もさやさやに祓へ清めて、
【おそなえする】献奉(たてまつ)る幣帛(みてぐら)は、御食・御酒を初めて、鏡如(な)す餅(もちひ)、鮮(あざら)けき物と魚(うお)、山野の物と甘菜・辛菜、香(かぐは)しき物と木(こ)の実に至るまで献奉り、
【おがむ】御前に据ゑ置き奉る人形の御霊和ませ給へと乞ひ祈み奉るが為に、謝(ゐや)び奉り敬(ゐやま)ひ奉る志(しるし)の為と玉串をも捧げ奉り、鹿(しし)じもの膝折り伏せて拝み奉る状を平らけく安らけく聞し食して、
【おねがいする】汝命等(いましみことたち)の愛(め)で給ひし御心の任(まにま)に、今ゆ往先(ゆくさき)、人形の御魂はも、猛ぶることなく、荒(あら)ぶることなく、此の処よりは、天のまほらま、国のまほらま、常世の浪の敷波(しきなみ)寄する処とも、また山川を見遥かす清き明き処とも導き遷し坐して、和魂、また幸魂・奇魂とも為し給ひて、御前に参列(まゐつらな)む者等の真心を諾(うづな)ひ給ひ、夜の守・日の守に守り給へと、
【結尾部】鵜じもの頸根(うなね)衝(つ)き突きて、神職(かむづかさ)厳(いか)し桙(ほこ)の中執り持ちて、恐み恐みも称辞竟(を)へ奉らくと白す
推敲する上での注意点をいくつかあげて、人形感謝祭祝詞については終了とします。
まず、文法上のまちがいはなかなか見つけにくく、日ごろの修練に尽きるとしかいえません。われわれが中学校や高校で学習する古典文法は、源氏物語を初めとする王朝文学の時代を基準にしています。それに対し、祝詞はより古く、上代を模範としていまして、文法も異なるところがあります。ですから専門書を読むのが大変であっても、日々、記紀や万葉集などに触れて語句の解説に触れ、上代の文法に関する知識を増やしていく努力が必要でしょう。
より具体的なところを述べますと、できあがった草稿の全文を通して読んでみて、引っかかるところをチェックしなければなりません。そういう語句は、本番のときにもやっぱり引っかかることが多いからです。それがじぶんにとって読みにくい漢字でしたら、もちろん読みやすいものに変えます。
祝詞のある一部分を、例文集などを参照して作文することもあるでしょう。それにしても、そのまま引用しなければならないわけではありません。祝詞は小説のように読んで楽しむものではなく、奏上してその内容を聞いていただくものですから、どのような字で表記されているかよりも、「音」の方が大事です。原文でつかわれている難しい漢字は、じぶんが読み誤らないような字に改めるべきです。
つぎに、これは議論のあるところかもしれませんけれども、本番で奏上して初めて、その祝詞は尊いものになり、奉書紙に書かれたものもその取り扱いに注意しなければなりませんが、奏上前ならば音読してもさしつかえない、と私は考えます。そこで、草稿を実際に口に出して読んでみて、引っかかるところをチェックしましょう。黙読だけでは見つからない箇所も、思いもよらないところできっと出てくるはずです。
そうすれば、祝詞奏上のときにもよい緊張感をもって、臨めるはずです。
このブログではここまでずっと、書き下し文をもって説明してきました。しかし、推敲を終えたあとは、奉書紙に宣命書で墨書しなければなりません。
ですので、このブログで便宜上、書き下し文で今後も説明していくにせよ、特にまだ慣れていない人は、面倒でも最初から宣命書で草稿をつくる方がよいでしょう。いうまでもなく、宣命書を読む経験を積んで、本番の読み誤りを予防するためです。それに、奉書紙に浄書する際の割り付けも、その時点である程度できる、という利点もあります。
ついでに、浄書前にしておいた方がよいことを述べます。急がばまわれ、というわけで、一行あたりの字数の調整等をします。神様の名前は行をまたがないようにする、いちばん下に置かないなどの細かいことは、ここでは申しません。ただ、浄書しはじめてから、そのようなことになってしまった、となると、文面そのものを変えなければならなくなって、大変です。
その調整等のために、短い祝詞ならば、市販の原稿用紙に推敲後の本文を書き込んでいきます。表計算ソフトをつかって原稿用紙をつくり、それに書き込んでもよいでしょう。一行が二十字以上になるときも、やはり表計算ソフトでつくった原稿用紙に書き込むとよいでしょう。若い人はパソコンのモニター上で調整する方が、あっているかもしれません。ただ、浄書前に手書きで原稿用紙に書いていくと、思わぬところでよい表現を思いついたり(そんなときは、もちろん書き換えを検討します)、見つからなかったまちがいに気づいたりすることが、よくあります。
次回以降は、また別の祝詞について、どのように作文していったか説明したいと思います。