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祝詞作文ノート

人形感謝祭祝詞4 おまつりする(2)

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人形感謝祭祝詞4 おまつりする(2)

人形感謝祭祝詞4 おまつりする(2)

 

冒頭部に引き続き、まずは人形感謝祭の行われる日について申すこととして、「今日の生日の足日に」などよりもっと具体的にしたい、ふくらませたい、その過程を述べるという話でした。

 

 単純ながらすぐに思いつくのは、「~な今日の生日の足日に」として「~」の部分をつけくわえるという方法です。「~な今日に」としたり、「~な日に」としたりもできますが、ちょっと現代語っぽくなりますし、それよりは「生日の足日に」をつかう方がよいように思います。というのも、この語句はかなり古くからあり、それ相応の力がありますので、活かさない手はありません。

 

 式祝詞はもちろん、記紀万葉にあることばには力があります。

 

単純に言霊といってしまえばそれまでですが、古代人が祭祀の場において、あるいは伝承すべく暗唱していた、また天地をも動かし、鬼神を泣かしさえすると信じられていた歌の中にあることばに、相応の力があって当然です。

 

では、本題にもどりまして人形感謝祭の行われる当日がどんな日なのかを考え、それを古語に落とし込んでいくことにしましょう。

 

 人形感謝祭は今年に限り、私が宮司として赴任してからご奉仕することになっていまして、四月九日に斎行しました。なお、これまでは三月三日過ぎの、最初の土日あたりに行っていたようです。

 

四月上旬といえば、東京では桜が咲く頃でしょう。しかし、私の住む北海道では、平地でもまだ雪が残っていることが多く、暖房を消すことはまだまだできません。そんなことから、冬の寒さも和らいで春がきた。桜が咲くのを待つばかり(の、今日の生日の足日に……)という内容で書いてみることにします。

 

 私の場合、冬として実感できるのは十月後半から四月中旬くらいまで、およそ半年ほどにもなりますので、冬といえば何といっても「長い」。そこで、

 

 長き冬の寒きも和らぎ、春来たり……

 

「長き」と「寒き」が近い位置にあり、「和らぎ」とつながりますので、「き」「ぎ」の音が気になりますけれども、ひとまず先に進みます。つづいて、桜を咲くのを待っている。

 

 桜咲くを待ちゐたる(今日の生日の足日に)

 

 つなげてみると、これでもまあ最低限の意は尽くしていますが、まだことば足らずな印象があります。準備段階で想定した分量からすると、ちょっと少ないんじゃないかなとも思います。

 

 長き冬の寒きも和らぎ、春来たり、桜の咲くを待ちゐたる(今日の生日の足日に)

 

 冬から春へ、という内容なので、どうしても季節のつながりから冬と春を対比してしまいます。そうすると、「長き冬の寒きも和らぎ」に比べ「春来たり」はあまりあっさりしすぎています。ですので、ここをふくらませることを考えます。

 

 古語では、季節が移りめぐってくることを「去る」といいます。「去る」というと、どこかに行ってしまうような気がしますけれども、この語、こんにちのことばでいうと「離れる」に近い意味だったそうです。春ならば、どこかにあった春が、そのもとの場所を離れて、いまじぶんのもとにやってきた。それを古代人は「春去る」といったわけです。

 

 それから、すでに似たような表現ならば、万葉集にもあります(巻一、十六番歌)。

 

 冬ごもり春去り来れば、鳴かざりし鳥も来鳴きぬ、咲かざりし花も咲けれど……

 

 そこで「春去り来れば」から「春去り来たり」に変えた上で、この語句を採用することにします。

 

さらにもう少し、「長き冬の寒きも和らぎ」とバランスをとるべく、枕詞をつかってみます。「春」にかかるものを調べてみると「あづさゆみ」「あらたまの」「うちなびく」「なつごろも」「ふゆごもり」の五つ。絶対これをつかわねばならない、ということはありませんが、これをつかった方がよいだろう、ということはあります。

 

では、どれをつかうのがよいでしょうか。

 

 このうち「なつごろも」は夏衣ですので、夏を連想させてしまっては、ちょっと祭祀執行の日には季節が合わないようです。「ふゆごもり」は冬籠り。上に引用した万葉集の一首でもつかわれています。この枕詞にしても直前で「長き冬の寒きも和らぎ」といっていますので、「冬」が重なって不自然です。

 

 また、「あらたまの」は新玉の、などと書き、改まるという含意もありますから、暦の上での春(つまり旧暦の)新年にふさわしいでしょう。

 

 消去法で「あづさゆみ」と「うちなびく」が残りました。どちらでもよいようなものですが、そこは祝詞で用いることばですから、きちんと調べて決定しましょう。

 

「あづさゆみ」は梓の木でつくった弓、ということで、弓は「張る」ものであることから音の通う「春」の枕詞となったそうです。

 

 一方、「うちなびく」は草木がどんどん成長して繁っていく、そんな様子から「春」にかかる枕詞としてつかわれるようになりました。

 

 つまり「あづさゆみ」は音で、「うちなびく」は内容から、つぎに春という語がくると聞いている人に連想させるわけです。

 

 音といえば先に、「長き冬の寒きも和らぎ」で「き」「ぎ」が気にかかるといいました。これをそのままに、リズムを活かすならば、「あづさゆみ春去り来たり」とつづけてよいような気がします。

 

 逆に、内容の面から「長き冬の寒きも和らぎ」に「うちなびく春去り来たり」では、やはり「うちなびく」が合わないでしょう。この時点ではまだ「うちなびく」ほどには、草木は成長していません。もっとも、古代においては「予祝」ということをしまして、例えば豊作祈るのに、もう稲穂がこんなにいっぱい稔っているなどと歌に詠むことがあります。

 

しかしこの祝詞の場合、草木がいっぱい生い茂ってほしいと祈るのは、主題から外れます。

 

 ですので、「あづさゆみ」を採用することにします。

 

長き冬の寒きも和らぎ、あづさゆみ春去り来たり……

 

 たまたまですが、「あづさゆみ」の「み」はイ段ですので、「春去り」「来たり」の「り」と韻が踏めていますので、音が整いました。

 

 つづいて、桜が咲くのを待つ、これをふくらませます。

 

 まず、単に「桜」ではなく、もう少し具体的に申すこととして、北海道で咲く桜を考えます。もちろんソメイヨシノも咲きますが、北海道でよく見られる桜といえば、まずチシマザクラ。それからエゾヤマザクラです。

 

蝦夷山桜・千島桜の咲くを待ちゐたる……

 

 蝦夷山桜は七音、千島桜は六音です。千島桜が仮に五音ならば七五調でととのって奏上しやすくなりますが、そうはなっていません。「千島桜の」でセットとしても七・七で、これは和歌の世界では「シメ」るところでつかう調子です。

 

 これらの問題点を解消するため、思い切って「蝦夷」をとります。すると「山桜」で五音、「千島桜の」で七音で、五・七で始まることになり、格段に奏上しやすくなります。ただ、あまり五・七音ばかりつかっててしまうと長歌のようになってしまいますので、注意が必要です。神葬祭のしのびうたならばともかく、祝詞文の一部が長歌じたてというのも格好悪いものですので。

 

つづいて、桜二種が単に「咲く」一語だと、ちょっと受け止めきれないような気がしますので、花がほころぶ意味での古語、「笑む」をつかって「笑み開く」にしてみます。

 

山桜・千島桜の笑み開くを待ちゐたる……

 

 五音・七音の順にこの部分を初めていますので、つぎの「笑み開く」も五音か七音にしたいところです。ここでは反復・継続の助動詞「ふ」をつかって「笑まひ開く」にしてみましょう。つまり、桜の花が単に「咲く」だけではなく、「咲きつづけている」といった意味にします。

 

山桜・千島桜の笑まひ開くを待ちゐたる……

 

 反復・継続の助動詞などといって驚かせるようですが、この助動詞「ふ」は上代によくつかわれていたので、高校までの古典文法ではあまり触れられません。高校までの古典文法というもの、平安時代、それも源氏物語のころの文法を基準にしているからです。

 

 しかし祝詞の文章は源氏物語のころよりも古くあるべきだと、私は思います。

 

そこで「ふ」も積極的につかいたいのですが、少し説明しますと、咲くの逆で、どんどん散っていくなら「散らふ」、ずうっと霧がかかっているならば「霧(き)らふ」です。

 

 ここまででもまだ想定していた分量には足りないので、もっとふくらませます。

 

うしろの方、「待ちゐたる」って、誰が待っているのか。不特定多数の「私たち」と、はっきりさせておきましょう。これは古語にして「我どち」。それから、桜が咲くのを待ち遠しく思いつつ待っている、としてみます。

 

山桜・千島桜の笑まひ開くを、我どちの待ち遠に待ちゐたる……

 

 このあとに「今日の生日の足日に」をつけくわえると、ちょうどよい分量にほぼ達しました。

 

長き冬の寒きも和らぎ、あづさゆみ春去り来たりて、山桜・千島桜の笑まひ開くを、我どちの待ち遠に待ち居たる今日の生日の足日に

 

 一読してみると、まだ「長き冬の寒きも和らぎ」が気になります。気にならない、つまり奏上するときに読みにくくないならば、これで完成としてもよいのですが……。

 

「き」「ぎ」の間が近いことに、理由がありそうなので語句を補ってみます。

 

 後段で「笑まひ開く」と反復・継続の助動詞「ふ」を用いて、咲くことに一定の時間の広がりを持たせましたので、それに合わせて前段でも、だんだんと寒さが和らいできた、とするのが穏当でしょう。「だんだんと」は古語でいうと、「ややややに」。漢字にして「漸漸に」です。

 

長き冬の寒きも漸漸に和らぎ、あづさゆみ春去り来たりて、山桜・千島桜の笑まひ開くを、我どちの待ち遠に待ちゐたる今日の生日の足日に

 

 つぎの「和らぎ」も「や」で始まるので、ヤヤヤヤニ、ヤワラギでは読みにくい人もいるかもしれません。

 

 かえって悪くなったかもしれませんけれども、推敲はあとまわし、ひとまずこれで完成として、つぎに進むことにします。

 

 冒頭部につづけて、ここまででできあがった語句を掲げます。下線部がきょう作文した範囲です。

 

此の処(ところ)は朝日の直刺す処、夕日の日隠る処のいと吉き処と

是の某神社の祖霊殿(みおやどの)に鎮り坐す挂けまくも畏き代代の祖先等(みおやたち)の御霊の御前に職氏名い、恐み恐みも白さく、

長き冬の寒きも漸漸(やややや)に和らぎ、あづさゆみ春去り来たりて、山桜・千島桜の笑まひ開くを、我どちの待ち遠に待ちゐたる今日の生日の足日に

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