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祝詞語彙19
万葉集巻第一より
【十九番歌】
綜麻(へそ)かたの 林の前(さき)の さ野榛(のはり)の 衣に付くなす 目につく我が背
〇付くなす……つくように。
【研究】
現代語で「~のように」という意味になる、つまり比喩を表現する語句は、祝詞で使用されるものとしては、おおむね以下の二パターン。
①助動詞「如し」を使う。「科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く」など。
②本歌のように「なす」を使う。「鶉なす並み居」「鏡なす餅」など。
助詞「の」にも比喩の用法がある(「玉の男の子」など)が、少々使いにくい。
祝詞語彙18
万葉集巻第一より
【十八番歌】
三輪山を 然(しか)も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや
〇雲だにも……せめて雲だけでも。
〇あらなも……「あり」に「なも」がついた形。
〇隠さふべしや……「隠す」「ふ」「べし」「や」という語構成。「や」は反語。(雲がそんなに三輪山を)隠しつづけてよいものか。
【補足】
「だに」は、上代においては「(せめて)……だけでも」「……なりとも」の意味だったが、のちに「……さえ」という意味でも使われるようになった。
「あらなも」の「なも」は終助詞。上に動詞や動詞のような活用をする助動詞の未然形がきて、「……てくれればいい」「……てほしい」という意味。本歌では「雲だにも 心あらなも」で「せめて雲だけでも心があってほしい」。終助詞・係助詞の「なも」はのちに「なむ」となる。すると、これまであげたものの他に、①完了の助動詞「ぬ」に推量の助動詞「む」がついた形、②ナ変動詞の語尾に推量の助動詞がついた形があって、まぎらわしいので注意が必要。
祝詞語彙17
万葉集巻第一より
【十七番歌】
味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや
〇つばらに……しげしげと。じっくりと。現代語の「つぶさに」。
〇見放(さ)けむ……「見放け」は終止形「見放く」。ここでは「遠くから見る」。
【研究】
岩波の古語辞典によると「山のまに い隠るまて 道の隈 い積もるまでに」の「い」は、すでに奈良時代には意味不明になっていました。他の辞典や文法書のたぐいでは「調子をととのえる接頭語で、動詞につく」と説明されることが多いようです。
この「調子をととのえる」というのは、和歌を念頭に置いているのかもしれません。より詳しくいうと、そのままでは四音や六音になってしまう句に「い」をつけている用例が多い、つまり「調子をととのえている」んだと。いうまでもなく、和歌ではできるだけ五音もしくは七音に音律をととのえる必要があります。
とはいえ、五音・七音の語句を並べてゆく必要のない祝詞においても、調子をととのえるために使われる接頭語があります。
相まぢこり、相口あへ賜ふ事無くして
持ち斎(ゆ)まはり、持ち清まはりて
などです。
もちろん本歌の接頭語「い」も、同様な使い方ができます。
例えば「天翔(がけ)り、国翔りに」という表現は、「天のい翔り、国のい翔りに」とすることが可能でしょう。
夏の日のい照り輝くにも、冬月のい澄み冴ゆるにも、大神等の恩頼を蒙り奉るを……
あまりうまく作文できていませんが、このような使い方もできます。
推敲段階で読みにくい語句を発見したときなど、「い+動詞~、い+動詞」という形でととのえられないか、検討するとよいかもしれません。
万葉集巻第一より
【十六番歌】
冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は
〇冬ごもり 春さり来れば……「冬ごもり」は春にかかる枕詞だが、なぜ春にかかるのか不詳。「春さり来る」は「春がくる」。一説に、この語句には古代人の思考が反映されていて、春はどこかから少しずつ離れ、今自分の場所にやってくるもので「離れ」の部分も含め「去り」くる、と呼びならわしていたという。
〇山をしみ……「しみ」は「繁っているので」。本来「しげみ」とあるところ。
〇黄葉……モミチと濁らずに読む。モミジと読むようになったのは平安時代以降。「紅葉する」という意味の動詞、モミツと類縁関係にある。
【補足】
「山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず」がほぼ対句になっている。
すでに述べたように、AをBみの形で「AがBなので」という意味になる。本歌中「草深み」のように「を」は省略されることがある。
Bにはク活用の語幹が入るが、シク活用の終止形が入ることもある。例えば「懐かしみ」「をかしみ」「苦しみ」など。高校まででは、これを教えず、受験の知識としては「Bにはク活用の語幹が入る」とするだけで十分である。これは、「懐かしみ」「をかしみ」「苦しみ」などが形容詞の名詞化なのか、動詞の名詞化なのかがはっきりせず、大学受験で問題にしにくいからだろう。
「黄葉」について。
万葉集では「紅葉」「赤葉」が一例ずつ、紅葉するという意味で「赤つ」と表記したのが二例で、圧倒的に「黄葉」と書かれることが多かった。漢籍の影響を指摘する人もいれば、実際に黄色い葉を見る機会が多かったからとする人もいる。なお、上代ではカエデだけではなくハギなどの葉、また一山全体の色づきを「黄葉」と表現するので、現代よりもモミジの範囲は広い(『万葉語誌』多田一臣編、筑摩書房)。
万葉集巻第一より
【十五番歌】
わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけかりこそ
〇さやけかりこそ……形容詞「さやけし」に「こそ」がついた形。「清らかであってほしい」。
【補足】
「こそ」といえば係り結びする係助詞「こそ」がよくしられているが、本歌中「さやけかりこそ」の「こそ」は係助詞と違って連用形についていること、希望の意味ととれることから終助詞だとする人もいる。なお、このような用法は上代の文献にしか出てこない。