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祝詞語彙24
万葉集巻第一より
【二十四番歌】
うつせみの 命を惜しみ 波に濡れ 伊良虞の島の 玉藻刈り食(は)む
〇命を惜しみ……命が惜しいので。
【研究】
「刈り食む」の意味は「刈って食べる」。この訳のように、こんにちでは例えば「行って来る」「見ている」「書いておく」など、動詞ふたつを「て」で結ぶことが多く、一語と見なしてよいものもあります。
逆に古語にするには、この「て」を取ればよいわけです。「行って来る」は「行き来(く)」、「見ている」は「見いる」(ただしこの場合の「いる」は「居る」)、「書いておく」は「書きおく」など。
祝詞語彙23
万葉集巻第一より
【二十三番歌】
打麻(うちそ)を 麻続王(をみのおほきみ) 海人なれや 伊良虞の島の 玉藻刈ります
〇海人なれや……「や」は反語。海人なのか、いやそうではないだろう。
〇玉藻刈ります……「ます」は丁寧語ではなく、尊敬の補助動詞。
【研究】
「や」に注目したいと思います。
ここでは終助詞で、反語の意味をもっています。疑問の意味の場合もあり、上にどんな活用をする語がくるのかで、変わってきます。上が已然形ならば反語、終止形ならば疑問です。
本歌の「海人なれや」の「なれ」は已然形ですので、反語だと考えられます。疑問の意味なら「海人なりや」とあるところ。
「や」には係助詞の使い方もあります。例えば祝詞の慣用表現のひとつ、「いかなる禍神の仕業にやありけむ」では「や……けむ」で係り結び、「や」は疑問の係助詞、「けむ」は過去推量の助動詞なので、この表現の後半部は「仕業であっただろうか」という意味になります。
他に間投助詞の用法もありますが、ここでは省略します。
「や」に似た語として「か」があります。同じように終助詞のこともあれば係助詞のこともあり、疑問・反語の意味もあります。では「や」と「か」がどう違うのかというと、「や」は「や」を使った人には答えがある程度、予想できるのに対し、「か」はさっぱり分かっていないときに使うのです。
ですから、「海人なれや」ならば、海人でないことは内心、分かっています。本歌では麻続王という身分の高い人について、海人なのかといっていますけれども、麻続王は明らかに海人とは感じられない風貌、格好をしていたことが予想できます。玉藻を刈るといっても、いかにも不慣れな様子だったのかもしれません。
祝詞語彙21
万葉集巻第一より
【二十一番歌】
紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも
〇恋ひめやも……反語。恋しく思うだろうか、いや思わないだろう。
【補足】
本歌の大意は「妹」がもし疎ましいのなら、人妻だからといって、恋しく思わないだろう、つまりは「妹」は決して疎ましくないのだ、ということ。
「恋ひめやも」の「恋ひめ」は上二段活用の動詞「恋ふ」に推量の助動詞「む」がついたもの。「や」と「も」はそれぞれ終助詞で、奈良時代には連語として使われることが多かった(平安以降「やは」が取って代わる)。活用する語の已然形につき、本歌のように反語の意味をもつ。
万葉集巻第一より
【二十番歌】
茜さす 紫野ゆき 標野(しめの)ゆき 野守は見ずや 君が袖ふる
〇標野……「しめ」は「しめ縄」の「しめ」。標野は他人の立ち入りを禁じた地だが、祝詞の文中においても祭場を表現する語句として使えるのではないか。ただし都市部の地鎮祭などの祝詞で用いるのは、仰々しいかもしれない。